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定性的な数学 [教育について]

面白い指摘を見た。
「文系なら日本語を正しく読んでほしい」
https://twitter.com/stephen_dole/status/1148152947152285696

この問題は良問である。計算して答えを出すこと自体はコンピュータが相当のところを代替する。出てきた結果をどう見るか。逆にコンピュータに何かをさせるときに、その前に予め大づかみで状況を見ておく。とても大切なちからである。

こういう言い方は叱られるかもしれないが「定性的な数学」。
大昔、島根県教育委員会に呼ばれて一席やったときにこんな題をつけたっけ。

それこそ長年「理系vs文系」みたいな分け方を徹底的に憎んで排斥したいと強く思っている自分としては、この辺が重要な指摘だと思う。

世間では

理詰めで(論理的に)考えてものを言うのが「理系」
なんとなくふわっと捉えて暗記で乗り切るのが「文系」

というように見られていると思う。もちろんそんなわけはないのだが、多くの中高生、そしてその保護者などはそう思っているだろう。

「頭がいいから理系」「出来が悪いから文系」

というような見方もあるだろう。もちろん強く否定したい。

だが世間の大半は、

「とにかく数学の公式を覚えて計算できて、○をたくさんもらえたら偉い」

という価値尺度の下、その「偉い」人が「理系」、その下に「文系」という発想。

本来数学は、言語的な要素が強い。小中高における「計算」の大部分は単なる手続きの暗記と習熟だが、「応用問題」といわれるものの多くの部分が「日本語→数学語の翻訳」である。

「文系=数学の点数が高くない」人たちの多くは、その手続き系が出来るか出来ないかの話に終始している。そんなものはコンピュータが代替してくれるのに。そして肝心の「翻訳」の部分は「無理」と思っている。

そんな状況だから当然「数学語→日本語(自然言語)」の「翻訳・解釈」も出来ない。

昨今、大学入試センター試験に変わる新しい試験のことで話が持ちきりである。
特に問題となっているのは英語だが、数学はどうなのだろうか。

私の評価は、今の大学入試センター試験の「数学」は、内容としては非常に良く出来ていると思っている。ただし制限時間は「3時間」としてほしい。今の時間なら、量を4割は減らしてほしい。問題なのは「あのレベル」の試験で「平均点を60%にせよ」という大命令である。平均が85点では入学者選抜に使えないという意見なのだが、東大を始め旧帝大などの「上位校」が利用しなければ済むことである。

時間に迫られて「考えない数学」をやるのではなく、言語としての面を前に出した教育にしないと、結局使い物にならないのだ。


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