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野球の応援と法会 [早稲田と慶應]

今季も高校野球の応援に楽器を持って行っている。

もともと母校・慶應志木高校の應援指導部がずいぶん前に消滅してしまったところで、野球部員に伝統の応援・神宮のムードを味わわせてあげたいというOBおよび保護者の話に乗って仲間に入れてもらっている。お節介な話である。

今季はすでに慶應志木を2試合応援した。そこではまた良い出会いもたくさんあり、その関連で早実を2試合応援させてもらった。「早大教授が楽器を持って早実の応援」というのも笑える話であるが、あくまでも肩書きは「友情応援にきた慶應OB有志の1人」である。さらに志木高の応援に来てくれた塾高應援指導部のリーダー諸君に感謝する意味もあって、塾高の応援にも参加する。ちょうどこの時期は吹奏楽の世界ではコンクールのシーズンで、野球の応援まで手が回らないという話は昔から聞く。さらに、吹奏楽を指導する音楽のセンセが応援なんてことについての意義を感じていないケースも多いようで、その辺りがいつまでも母校を卒業しない愚かなおじさんの言い訳になっている。

さて昨日(2016.7.23)。志木高はすでに敗退してしまったが、塾高、早実、早大学院、さらには早大本庄の試合が丁度おなじ昼前後に重なっていた。塾高の応援には呼ばれていたし、実は早実&早大学院の両方が勝てば次はこの直接対決・早早戦なので、それを願って応援に行きたかったのだが断念し、お寺さんの毎年恒例の施食会に参列。亡父の納骨から40年。母は正月の達磨講と夏のこれを欠かしたことがないが、私は東京を離れていた20余年間、施主となって金は払ってもほとんど行ったことがなく、このところ行くようにしている。妻と母、弟一家、妹のところの甥っ子1人と賑やかしく参ったのであった。

そのお寺の大住職は亡父と同年。その人柄で檀家の敬愛を集めるだけでなく宗派内の要職や日東○専の理事長を務めるなど、とても偉い方だが、さすがに年齢なりのことがある。実務は娘婿の若住職(とは言っても私より上)が担っていて、最近は典礼もほぼすべて仕切るようになった。

そして毎年この法会には必ず、大住職の同年の筑波大名誉教授のお坊さんが一席やる。落語ではなくてちゃんと法話ではあるけど、まあお笑いもまぶして。さすがに毎回同じ話ではあるが、年輩の方々にはその方がいいようで(お前は年輩じゃないのか?という突っ込みは置いておく)。

その法話は必ずみんなで歌を歌って終わる。曲は橋幸夫・吉永小百合「いつでも夢を」の替え歌で、仏法の基本的な内容。

で。

気づいたことが2つ。まずはこれってチョー現代版のお経じゃね?ってこと。ちゃんとしたお経は敷居が高いが、これなら行ける。みんながこの考えを理解し心に刻むことが目的なのだ。もともとキリスト教の賛美歌だって、流行歌の替え歌として作られたものが多いわけだし。

そしてもうひとつ。これは校歌と似てるなと。残念ながら単に形式的なものになっている学校も多いが、特に早稲田が顕著。母校慶應義塾は創立者の福澤諭吉が数多くの著作を遺したので、塾がどう進むべきかはそれが拠り所になる。しかし早稲田の創立者・大隈重信は演説の名手としては知られたが、字が下手で書物を遺していない。早稲田大学では校歌・都の西北がその役割を果たしているのである。

そんなことを考えているうちに思い当たったことがあった。自分は何のために母校の野球の応援なんかに行くのだろう。時間をつぶして交通費をかけ、日焼けして真っ黒になり、終わったらしっかり「反省」会を行う。もしかしたらこれって、宗教と同じ構図なのではないか。みんなで教義?=建学の精神?を確認する作業。

世間の人たちは「お前は慶應の出身のくせに早稲田の教授なんかしやがって、裏切り者だ」などという。だが実態は全く違う。その歴史的な経緯からしても早慶は兄弟なのだ。慶應が24歳お兄さん。福澤諭吉は大隈重信より6歳年上。だが互いに尊敬し合う大好きな同志なのだ。先日行った早実の応援は、20人強のブラスバンドの半数以上が慶應應援指導部のOB。

その中で校歌なり応援歌なりというのは、お経と同じような役割を果たしているように思う。

日本では「宗教」というと特殊なもののように思う人がたくさんいるようだ。また「早慶」みたいなつながりを疎ましく思う人がいるのも知っている。それはぼんやり考えてみると似たような構図だと思うのだ。

変なことを考えながら参列した大施食会(お施餓鬼)の法会であった。

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