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大隈重信侯の墓参に行ってきた [早稲田と慶應]

今日1月10日はうちの大隈さんの命日。早稲田では創立者・大隈重信を親しみを込めて「大隈さん」と呼ぶ人が多い。

2限の講義の前に護国寺にあるお墓にお参りに行ってきた。

大隈さんが敬愛していた福澤諭吉先生の誕生日が命日だというのも、何の因縁か。

しかし2月3日の雪池忌(福澤先生の命日)にはそれこそたくさんの塾生がお参りに来るのに、今朝の護国寺は全く閑散。大学の職員が来て掃除をしてた。毎年午前10時に、総長以下大学執行部、商議員などの面々が墓参に来るのだが、学生や一般の教員が来る気配はほとんどなかった。

確かに2月3日は期末試験も終わったころで、神頼みの代わりに来る塾生がたくさんいることもわかる。まあ福澤先生の墓前で土下座しても進級できなかったヤツはたくさんいるようだが。

一方で今日は正月休みが明けたばかりで、早稲田ではこのことを忘れてる/知らない人が大半だろう。だが、慶應義塾では何日か前から「命日には墓参されたし」みたいな掲示が出ていたが、早稲田では見ない。

日比谷公園で行われた国民葬に30万人も参列したといわれる大隈さんだが、その後の早稲田での扱いはちょっと寂しい気がする。


「江戸っ子の定義」を見ていて [社会について]

「江戸っ子」という表現をよく聞く。先日もネットで「東京のこの盛り場の写真を見て、どこだか当てろ」というゲームをやって、全問正解したら「すごいですね、江戸っ子だ」みたいな評価になった。しかしそれにひどく違和感を感じた。

自分は東京23区内ではあるが東海道品川宿の先に生まれ、同じく23区内ではあるが中仙道板橋宿の先に育ったので、どう考えても江戸の生まれ育ちではない。

そもそも「江戸」の範囲はこんな区域だったという。
http://www.viva-edo.com/edo_hanni.html
ここには「朱引」「墨引」という二つの境界がある。今住んでいるのは江戸市中であるけれど、生まれはこの境界のずっと外側である。

で、昔から言われていた「江戸っ子」というのは
江戸市中に生まれ育って3代目
というのが基本のようで、さらに「神田明神の氏子」だとかいうような条件を課す人もいるという。

それって何なんだろう。それにそもそもなんでそんな概念が登場したのだろうか。

同じようなことを感じることがこれまでもいろいろあった。29歳まで東京に暮らし、それから遠く離れた西国に住むことになって最初よく言われたのが
東京の人って都会的ですよね、すごいですよね
という意味の分からない話である。そして
六本木とか銀座とか渋谷とか、すごいですよね
などという話になる。まあ確かに「すごい」とは思うが、東京に暮らしていたとき、そんなに繁華街に出歩いていたわけではない。学校・職場と家を往復するだけだと、確かにそういう繁華街は電車では通るが、毎日そこに行くわけでもない。むしろそういうところには行かないのが日常だ。だから繁華街を知らない、街を知らないという意味では十分「田舎者」であったと思う。

ところで自分の経験からして、東京の街の中心部に生まれ育った人は、他の人に向かって「あの人って田舎者だよね」みたいなことはあまり言わないのではないかと思う。例えば浅草に生まれ育った友人が何人かあるが、彼らの口からそういう言葉を聞くことはまずない。

では誰が他人を田舎者呼ばわりするのか。

私は、田舎から出てきてちょっと都会のムードに慣れた人が、それにまだ慣れていない人を揶揄していうのではないかというように見ている。自分は本当は田舎者だということを隠そうとしているのではないか。なので西国に住んでいたときには
「都会・東京」は田舎から出てきた人同士が鎬を削っている場所だ
とよく言っていた。実際そんな気がする。

さて、この状況は当然江戸時代にも唱えられていただろう。大都会・江戸に出てきた田舎者が都会に慣れて、あとから来た田舎者に対して優越感を感じていたのに対して、そんなのつまらないよ、という発想がこの「江戸っ子」の概念に込められていたのだと思う。3代前から江戸の生まれだとすれば、「大都会・江戸」の状況は当たり前であり、
「俺は知ってるぜ、お前知らないだろう、この田舎者」みたいな野暮なことは言わない
のが本当に都会に生まれ育った人の発想だったのではないか。

大都会でない街が悪いとも思わない。私の第二の故郷・岡山を田舎だと扱き下ろす人はいるけれど、自分はもし岡山に移住せず、ずっと東京にいて教員などをしていたら、繁華街もあまり知らず、おいしい酒の飲み方もよくわからず、暗いままの人生を過ごしていたのだろうと思う。あの位の街のサイズで繁華街からタクシーで1000円で帰れるような環境だったから得られたことはたくさんある。東京では山手線からタクシーで5000円以上かかるようなところに住んでいたから、そこではいつも終電を気にしていただろう。コンサートホールだって遠かったから、いい催しが行われていても見に行かなかっただろう。少し前「大都会・岡山」とか揶揄する人がネットにあふれていたが、あの程度だからいいこともたくさんあったわけで、まあくだらないことをいう人たちだなと思っていた。

もちろん自分の場合、その街で諸先輩にかわいがっていただき、色々なことを教えてもらったことも忘れてはならないのだが、そんなこんなを思うと、自分はアクティブに活動できる年代に東京から離れていたことをとても幸せに思っている

さて、ここからが本題。

商売柄、いわゆる優秀な学生たちをたくさん目にしている。「早稲田はバカだ」とか言う人もいるが、世の中の全体から見たら優秀である。確かに優秀なのだが、正直に言って面白くない。みんな東京圏に生まれ育ち、子どものころから塾通いをし、もしかしたら中高一貫校に進んでガリガリ受験勉強をしてきたような連中ばかり。誰を見ても同じようなやつばかりだ。彼らを見ていると、その「田舎から出てきて先に都会に慣れ、あとから来た田舎者をバカにする」種族と似たような匂いがする。いつまで経っても「小学校のときの塾の話」を引きずっているような。

こいつらが日本の中枢に座ったらダメだろうなと思う。日本国民が全部東京圏だの大都市圏に住んでいるわけではない。そうでないところで活躍している人たちがあって初めて国が成り立っているのだ。

こっちはそんなつまらない奴らを叩き潰して、面白くて優秀なやつに仕立てて世の中に出すのが仕事である。まあ今の所属セクションはその点で力をふるうことが難しくはあるのだけれど。

何が江戸っ子か?という話を見ながら、こんなことを考えている。

これが今年の初投稿か。

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