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やっぱりすげえ人はすげえ。 [教育について]

あちゃー、2ヶ月ぶりだ。

基本スタンスとして、音楽とか身の回りとかの話はFacebookに、数学とか教育の話はTwitterにちょこっと書くことにしている。Twitterに書き切れなくて、しかも残しておこうかという話があったときだけブログに書くことになる。

まあそんな言い訳はともかく.

このところ数学の研究会・勉強会のようなものにいくつか参加させていただいている。普通の人には「学会」という言い方をした方がいい類いのものであるが、特にこの1ヶ月ほどの間に参加したものは、数学のジャンルは色々であるけれど、その姿勢がとても好感が持てたというかありがたいものばかりであった。

およそ「学会発表」というのは、「新しい研究成果を報告する」ことが主である。基本的に最新のもの、最高峰のものは何か、に興味がある。それは最も大切なことであるのは間違いないのだが、一方でそういうものは「先鋭で」「専門的」である。他のジャンルのことはわからないが、数学の世界においては、数学者同士、またその中でも近いジャンルの研究者同士であっても全く理解できないことがよくある。そうなるとなかなか辛いものがある。

一方、そういう専門的な内容を発表する側の立場に立ってみるのもまた面白い。自分はこんな新しい研究成果を出したという発表をするとき、どうしてもその苦労話なりアイディアなりを言いたくなってしまう。数学で言えば「定理」が成果で「証明」はその苦労話である。数学の講演は短いと10分とか15分。長いと60分や90分などもあるが、仮に90分もらったとしてもその細部まで説明するのはなかなか難しい。

さてそこで何をするのか。大変残念なことに、昨今はコンピュータを持ち込んでプロジェクタを使って発表することが大半である。そこにどんどん内容を持ち込んで、たとえば30秒に1枚の画面を出せば10分で20枚使える。ノートに書いて20頁を超える証明はそれほど多くないから、なんとか出せることになってしまう。

いやいや、待て。しゃべる方はそれで良いとしても、聞く側はついて行けないよ。そんな学会講演がたくさんある。ひところ、日本数学会の機関誌「数学通信」には、そういう講演をしてはいけません、みたいなことが毎号書かれていた。しかしそれが上手く行っているかというとなんとも言いがたい。若い研究者に興味を持ってもらおうということで、修士の学生にもわかるようなサーベイ講演をと言って始まったシリーズも、その半分以上は始まって10分で挫折し、残り50分寝てしまうようなものばかり。そう簡単にはいかないなと思ったものである。

さて。

今の時期は大学教員にとって大切な時期でもある。基本的にどこも講義は終わっている。入試業務は学校によってそれぞれだけれど、比較的人々が都合を合わせやすいようだ。なので各地で「学会」が行われる。最近自分が出席させていただいた会は、どれも「ちゃんと勉強できる」会になっていた。京都、岡山、金沢、そして早稲田での会に出たがその典型は京都や岡山での会。上記のようなプロジェクタ使用の原則禁止。黒板で書きながらの講演を主催者から依頼していた。40分とか60分とかそういう時間で黒板となると、内容も厳選しなくてはならない。しかも成果発表よりも門外漢向けの講演をということで、さらに原理に戻った話ばかりだった。金沢での会も偉い先生方がそういうつもりで講演をして下さる。早稲田での会は講演1つしか出られなかったが、それも本質はここ、一緒に計算してみよう、みたいな語り口であった。

ここで大切なのは、その講演者の方々は本質を深く理解し、平易な言葉で語れる方々であるということ。この研究会シリーズの前に出席した集中講義(1週間ほどで2単位15回分の講義をしてしまう。当然まとまった大きな話が聞ける)も、本質を深く理解した講師の話が、専門外の自分にとってもとても有意義だった。

実を言えば、〇〇先生に久しぶりに会えるからとかそんな理由で参加したものもあったのだが、そんな裏事情があろうと結果的に良かったものは良かった。

こうやってちゃんと出来る先生方もたくさんいらっしゃることを嬉しく思った。


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