SSブログ

教養教育の方向 [教育について]

相変わらず過疎過疎なこのブログ。しかし久しぶりにtw連投をやめてこちらに書いてみる気になった。

こんなtwを見たのが発端。
https://twitter.com/nobu_akiyama/status/1137606448282628096
この先生の連投に全く異議はない。

そういえば、かのラジオ先生がこんなことをつぶやいてた。
https://twitter.com/marxindo/status/1137504501793927168

ラジオ先生とほとんど同年代の私は、直接ではないがそれをよく見てきた。

残念ながら、昔の国立大学の教養部における教育には問題があったと思う。

自分に近い分野しかわからないが、昔の「教養部」の数学は「線形代数」と「微積分学」を教えてるだけだった。その重要性に文句を言うつもりなど微塵もないが、ただその授業をすることだけが目標になっていたような気がした。

これは何のために学ぶのか。その前にそもそも学問は何のためにするのか。そうしたことを等閑にして、単に普通に授業を行い、出来がいいだの悪いだのという話をしていたのではないかと思う。

それでは高校の延長に過ぎない。大変に残念なことであるが、その当時「そもそも教養教育はどうあるべきか」という議論がどの程度行われていたのかよく知らない。児美川孝一郎先生のこのシリーズ
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56521
に詳しいが、「専門課程が上、教養課程は下」という見方に加え、「研究は上、教育は下」と言われてしまっては、教養教育のあるべき姿をまじめに考えようという人はごくまれだったのだろうと思う。

学生や世間は「パンキョー」と言ってバカにし、「専門科目を重視せよ」などと企業が叫ぶに至っては、「大学の大綱化」とかいうよく訳の分からない話に乗って、教養部解体・教養教育軽視の流れは止められなかったとは言える。1991年からなのだそうだ。その頃は大学教員が外国に行くことがそれほど頻繁ではなかったように思う。ちょうどその91年、ある若いが偉い先生が集中講義に来られて一緒に飲んだとき、君たちもどんどん外国に出なさい、と言って、行き先の探し方などまで教えてくれた。今ほどインターネットが普及していない時代である。

その頃に例えばアメリカの大学の様子などがもっと知れ渡っていたらその「大学改革」もずいぶん違ったのだろうと思う。

そうして完全に壊しておきながら、世間は「やはりイノベーションが大事だ」などということを言い始める。ではそのためには何をすればいいのか。

教育で言えば、学問の基礎(語学やICTなど)、学問に対する姿勢や哲学(なぜそれを学ぶのかなど)を鍛える、もしくは学ぶ体勢を教えることが必要であったわけである。

以下、自慢話になるかもしれない。自分が出た慶應義塾の理工学部は、今は少しタイトになったのかもしれないが、基本的に専門を狭くしない形で学び始める。数学科に進学するつもりでも、物理や化学を結構取らなくてはならない。専門の数学については、少なくとも自分が学生の頃で言えば、他大学と比べて1年遅れという感じである。しかしそれが今になって様々なところで役に立っていると思う。

もっと言えば、大学4年間の授業でその後最も役に立ったものは何か?と言われたときに、そのベスト5に入るものとして、「倫理学」(哲学概論に相当する内容だった)「基本体育(実技)第3クール・徒手体操」「英語(担当:タコ先生)」が間違いなく入ってくる。現在英語が(できないまでも)怖くないこと、教育に関して基本的な姿勢を常に検討する気になっていることなど、直接的に役に立っている。だが当時はそんなことはわからないし、たまたま必修科目のクラス配当で当たったものだってある。

細かく計画されたものであるはずもないが、こうした出会いが教養教育にはあるのである。

そもそも大学なんてそんなものだ。

昨今、また大学に求められるものが変わってきている。求める側は勝手なことを言う。本当は大学の側はそんなことに右往左往してはいけないのだ。だが残念ながら学問とは何かを考えもしない、入試で良い点を取ることには長けていても、ちゃんと研究をしたことがない学歴の低い人(ここでは学部卒の人をそう呼ぶ。大学名に意味はない)が予算配分の権限を握っていて、その力で大学を動かそうとしている。残念ながら学問経験の薄い官僚が、その道の碩学たる各大学の総長を呼びつけて、ふんぞり返って話を聞いている。

近年、国公立大学から私学へ異動する教員が増えているという。自分もその一人である。だがおかげさまで現職においては、「本当に必要な教養はなにか」「学問をするとはどういうことか」といった根本を考え、それを教育に活かすことができるような立場にある。自身の研究はもちろんだが、こうしたことに力を注ぐことが出来るのはやりがいがあって幸せなことである。
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。