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モスクワに来ました [しょーもない独白]

2年半ぶりにモスクワに来た。

3年前に東京で初めて会って、2年前にモスクワの研究集会に呼んでくれて、昨年は早稲田に来てくれた大先生。

今年の7月にトルコで会ったとき、秋にモスクワへ来いと。最初に会ったときに見せた研究の話を進めたいと思って来ようとしたのだが、訪問時期などについてやり取りがうまくできず、招聘状がもらえなくて航空券を一旦キャンセルする羽目に。

今回は満を持してやってきた。ところが出発の2日前。今回の細かいスケジュールは?と聞いたら、毎日Lectureしろと。早稲田に来てくれた時にもそういう予定を組んだ。実際には一方的な講義ではなくて、一緒に計算して論文を書いてという作業だったのだけれど。

で、そんな感じのことかと思って「誰相手のLectureだ?」と聞き返したところ、出発前夜になって「大学院生向けの集中講義だ、表題はこれで、前提知識はこれくらい。」と連絡が。

ちとまて。

明朝出発で、家には数学書はないし、どうする? 

論文系はあるていどコンピュータに入れてある。専門の最低限の基本的な教科書も入れてある。
仕方がない。飛行機の中はまず講義の計画から始まってノートづくりだ。100分5回。そのうち第2回は一般数学者向けのセミナー。残り4回は大学院生向けの講義。その第2回に大学院生がついて来られるようにすることも含んで計画を練る。もう遊びに出るどころではない。着いてからも空き時間はずっと準備をし続けていた。

到着は日曜夕方。月曜午後から講義。火曜セミナー、水曜講義。木曜の分が金曜に持ち越しになって金曜は昼食をはさんで2回分。木曜はまったくホテルにこもって、講義の準備と、本来の研究打ち合わせの準備に没頭。

金曜2コマ。その前の午前中に予定していた研究の話を。

で、終わって夜はボリショイ劇場でオペラを見た。

土曜はまた一日ホテル。日曜、ホテルから空港まで連れて行ってくれるというので、その時に議論ができればと。

結局オペラとコンサートを一つづつ見たものの、あとは観光もない厳しい出張、あすまでの滞在です。


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続・泣ける [しょーもない独白]

結局、全国的な傾向であって、それはお上の意向なのだけど。

愛媛大学法文学部の改組~公務員と地元民間企業に特化する愛媛大
http://ameblo.jp/ssasamamaru/entry-12021859584.html

このブログ自体は香川大学の関係者の目から見ているので、まあ香大の愛大に対する見方が強く出ている部分もある。松山は四国最大の都市。高松は瀬戸大橋など3橋ができたため地位が下がっているかもしれないが、鉄道は本州から直結していて岡山(本州)まで通うことも可能だし、高等裁判所があることからもわかるように、お上に向かったときに相対的に上に立っているという気持ちがあるように思える。

だがそんな色眼鏡を考慮しても、愛媛大が上げているパンフレットを見ると、その分析は間違っていないだろう。

愛媛大学教育組織改革の骨子
http://www.ehime-u.ac.jp/new_faculty/pdf/panf.pdf

私の前の記事 http://sobukawa-in-waseda.blog.so-net.ne.jp/2015-04-09 にも書いたように、この案を決めてお上に持っていく側の気持ちを考えると、本当に泣けてくる。その方たちが本当にこの改革案をいいものと思っているのか。この改革で愛媛大学の存在意義が高まると思っているのか。いや、決してそうではないだろう。残念ながらこの改革によって愛媛大学の地位はさらに下がっていくように思えてならない。だがこういう方向性を主導したお上は決して責任を取らない。「それぞれの大学の自主性を重んじており、当該大学からの申請があったので審理しただけです」という話になるのは目に見えている。そして当該の方々もそのことは見えているだろう。だが目の前にある脅しにたいして、そうせざるを得ないのだ。

おそらく学内でも突き上げがあったのだろう。学内が諸手を上げて賛成のはずがない。だがそれを押し切って決めていくしかないのだ。そしてお上へこれを持っていく。しかし数年後にはそれがどういう結果になるのか目に見えている。

単に「守旧派」「現状維持で利益を得る側」というレッテルを貼られてしまう人たちのことも慮られる。

立場が変わってしまった私が言うのは全く無責任で、関係者は不快に思われるだろうが、それでも泣けてしまうのだから仕方がない。


泣ける [しょーもない独白]

ちょっと見かけて読んでみて、なんだか泣ける話で、何日経っても気持ちが治まらない。

香川大学解体新書
 学際学部考(その2)・・・・長崎大学多文化社会学部の誤算
  http://ameblo.jp/ssasamamaru/entry-12007501391.html
 学際学部考(その3)・・・・長崎大学多文化社会学部のさらなる誤算
  http://ameblo.jp/ssasamamaru/entry-12008542414.html

長崎大学が新学部・多文化社会学部を作ったが、初年度から受験生に総スカンを食っているという話である。しかしその学部に対してお上の覚えは非常にめでたい。

国立大学法人等の平成25年度評価結果について【平成26年11月5日 国立大学法人評価委員会】
○ 新学部構想において、学長が学部長を指名し、新たな年俸制を適用することを決定すると ともに、全学的な入学定員の振替、専任教員についても全学の人的資源を再配分することで 40人を確保している。(長崎大学)
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/houjin/detail/__icsFiles/afieldfile/2014/10/31/1353232_1.pdf

当該大学を悪く言う人もいるようだが、当事者がこれを良しと思ってやっているのだろうか。私にはそうは思えない。文部科学省の担当者が、責任回避をしながら圧力をかけてくるというのが国立大学の置かれた立場である。

  • 改革が必要ですよねぇ、と振る。変えることだけが良くて、保つことは認めない。
  • 「改革案」を期限までに持って行かないと、予算を削減するという脅しが見え隠れする。
  • 費用を減らすことだけを良しとする。学生のための新規事業も金がかかるものは認めない。
  • 改革案を持って行ってもお上が思うことに合致しないと、難癖をつけて認めない。
  • お上の言うとおりの改革案を作って持って行くと喜んでくれるが、その後どういうことになっても、「自主的に策定された計画ですから」と言って責任を取らない。


これがその実である。

地方国立大学は予算を絞られたら困るので、何とか言うとおりにするのだ。それは学生のニーズや社会のニーズなどは全く無関係。その典型例がここに挙げられている話である。

自分は地方国立大学教員養成学部に長くいた。学校現場の現状を見ても、学問の立場からみても、お上の思っている教員養成の仕方には賛成できない。だから職場では大きな声で発言するのを控えていた。ネット上では言いたい放題書いていたわけだが。

昨年そのポジションを離れた。全く運の良いことである。今は学生のために何をすべきかを一生懸命考え、それが実践できるポジションにいる。研究が出来るムードにも包まれている。だがこういう幸運がなければ、そして不満を持った多くの人たちに担ぎ上げられてセクションのリーダーを務めることになっていたならば、自分もまたこんなものを世間に晒す当事者になっていたかもしれないのである。

その前にそもそも、最初にその大学に赴任したことも全くの幸運であった。決して楽観できる状況ではなかったにせよ、全国でも2つしかなかった教員養成系連合大学院博士課程に籍を置かせてもらったわけだし、そこまで切羽詰まっていたわけではなかった。

だが、ちょっとタイミングが違っていたら? ちょっと赴任先が違っていたら? そう考えるとその当事者たちの気持ちが痛いほどわかる。彼ら・彼女らは決して喜んで希望を持ってやったのではないだろうと思う。

そう思うと本当に泣ける。


もしかして、偉くなったのかな(笑) [しょーもない独白]

最近はネトウヨなんていう言葉も聞かれるようになったが、左翼だの右翼だのといった枠組みはどちらもつまらないように思える。旧ブログに昔書いたが,朝日新聞と文藝春秋を愛読する私は、そうした枠組みのどちらに組み込まれることも不快で、自分なりの考え方で生き方を決めていきたいと思っている。

さて、早稲田大学に赴任して1ヶ月が経とうとしている。「在野精神」「批判精神」を尊ぶ大学であることは知っていた。昔は「左翼」と言われる人たちがたくさんいたようだし、かつてはそういう人たちと深すぎる関係があったとかなかったとかで、学園祭が何年もの間開催されなかったこともある(たとえばこんなサイトを見るのはおもしろい)。

ところで、私が所属するのは,「グローバルエデュケーションセンター」という組織である。全学を横断的にみた教養教育を中心とするセンターである。昔、多くの国立大学にあった「教養部」のようなものと役目が近い部分もあるが、考えているあり方はずいぶん違うと思う。組織としての発足は2013年4月、そしてここを本属とする教員(つまり私のこと)が初めて採用されたのは2014年4月である。すでにここでも述べているように、この期に及んで「グローバル」なんていう表現を用いて新組織を作っているようでは、天下の早稲田大学の名が廃るとは思うのだが、「現状を変えたい」という基本的な考え方からすると至極まっとうな話である。

しかしその私には一つ大きな問題がある。いや、私の側には特に思うことはないのだが、私を取り巻く大きな問題である。それは私の「本属問題」である。

早稲田大学の教員はだいたい、教育組織を基盤とした「学部」というくくりと、研究組織としての「学術院」という組織に組み込まれている。学術院の方は大学院とも関係していて、「研究科」という組織もあるが、普通は「学術院」と「学部」が本属ということになる。ところが私の場合、本属は教育組織である「センター」である。大学教員たる者、研究をしなくては教育もできないというのはその通りで、赴任前から自分の数学に関する知見の幅を広げることに腐心しているところではある。

今日、教員組合&職員組合の広報を目にした。私の感覚では組合費がずいぶん高く、参加がためらわれるものではあるが、その広報紙が私にも配布される。そこで今日見たのは、「ミニシンポジウム・『グローバルエデュケーションセンター」について(1月24日実施)」の報告記事であった(きょうとうニュース第677号。2014年4月24日付。ネットには上がっているが、パスワードがいるようで、つまりは非公開なのでここには挙げないことにする)。

そこにはこのセンターの執行部がこの新組織について説明し、それに関する問題提起や質疑応答がなされた記録が上がっていた。

このシンポジウムの時点ではすでに私の採用(早大では大学を主語とする「嘱任」という表現が用いられる)は理事会決定されていたのであるが、その実態はほとんど知られていない。その段階ではわからないことではないのだが、つまりは

センターの人事で勝手に採用したヤツを、後から学術院に入れろと言われても知らねぇよ。そいつが使えるかどうか、わかんねぇじゃんか。俺たちは俺たちで判断するんだ。

ということのようである。前任の職場で、自分の本属の研究科のほかに隣の研究科も兼担させてくれといったら、システム的なことは別としてウェルカムだったのと比べると、大きな違いである。

「左翼」は必ずしも「変えていく」ことを目指しているわけではない。「右翼」的な社会では「変える」ことを目的とするわけだが、「左翼」的な社会では「左翼」は現状維持を望む改革派である。

昨今、大学の統治機構について、学長の権限を大きくし、これまでの教授会支配をやめさせようといううごきがある。そうした考えに則った法律案が去る4月24日閣議決定されたとの報道があった。

よい独裁よりも悪い民主主義の方がまだましだ


という意見には賛成したいけれど、こんなことを言われるようになってしまった側は、単に反発するだけではだめで、変えていくためのアクションを起こさなくてはならないと思うし、その前にそういう風に動いているべきだった。「何でも反対○○党」は楽な話だ。しかし個別のことに細細反対するようでは仕方がない。ひどい「反動守旧派」である。

今回目にした文書は、「いかがなものかという問題提起」だそうだが、当事者としては「おまえは仲間に入れてやらない」と言われているように読める。まあ自分が早大で大学院生の指導をする資格があるかないかについては自分で判断することではないわけで、ダメだといわれるならそれで仕方がないが、現状ではどこの学術院にも入れてもらえないわけで、そういうことなら勝手にさせてもらいますと思う。

(実は一番ネックになっている)組合費の問題は別にしても、ここの組合がこういうところならば、私は入る気にはならないな。

しかしまあそんなことはどうでもいいとして、自分に所以のないことで悪く言われるようになったというのは、私も偉くなったものである(笑)。


沈黙は金 [しょーもない独白]

教師というのは困った商売である。

何しろ人に教えたいのだ。そしてそれを評価されたいのだ。

しかし振り返ってみてこの数年、喋りすぎだったように思う。だから今一つ学生が伸びなかったのではないか。

昨日今日と、今まで全くやったことのない新しい内容の講義の初回を迎えた。本学はWeb上でそのシステムが出来ているので、感想などレビューをしてもらえるのだが、その感触がものすごくいい。講義としてはやはり下手くそなのだが、学生がこちらの思いを理解しているのだ。

喋りすぎて彼らの可能性を摘まないように、また彼らに疎んじられないようにしなくてならない。

沈黙は金? ちょっと違うか。

未来への光明 [しょーもない独白]

早大に赴任してから1週間ほどが過ぎた。

色々と文化の違いを感じることもあり、それはなかなか刺激的で面白いのだが、果たして学生はどうなんだろうと楽しみにしていた。

先ほど早大での初めての講義が終わった。内容は「楽しく数学に親しむ」ような内容。学生諸君はどう思ってくれたのか、Webに感想が上がってくるのが楽しみである。

と、講義が終わったところで一人の学生が声をかけてきた。なんでも、私の赴任前からWeb上で注目してくれていたのだという。「世の中にはこんなにアクティブな若者がいる」という話をテレビなどでは見ていたのだが、まさに彼はそんな人だった。

ご当人もこの記事を読むだろうから詳細は書かないが、我々の社会のこと、国のこと、人類全体の進化のこと、幅広くものを考えていてしかもそれに向かってどんどん行動している。

こんな若者に会えたとは本当に幸せだ。こちらももっと頑張らなくてはならないと思うし、あんな若者がどんどん出てきてほしい。

異動前には「栄転おめでとう」とよく言われて、正直なところあんまりピンと来なかったのだが今日はっきりわかった。確かにこういう人に出会える場なのだ。

こんな若者に会えたことは幸福なことだ。多くの若者たちがこうやって前に向かって活躍してくれることを願うし、そのためのサポートをしなくてはならない。

未来への光明を見た思いである。

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