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楽器の音色について [音楽]

トロンボーンという楽器はある方面からは非常に嫌われていることが多い。それは(アマチュア)オーケストラの弦楽器・木管楽器奏者たちからである。曰く、自分たちがいくら一生懸命さらって美しく弾いても、それを野蛮で喧しい演奏でぶち壊してしまう、と。

(アマチュアの)吹奏楽などでは、結構トロンボーンは「聞こえませーん」みたいなことも多いのだけれど、オーケストラでは吹くところが少ないせいか、確かに耳を覆いたくなるような汚い大音量が聞こえてくることも多い。そうなると嫌われるのも頷ける。

自分自身はそういうことに対して非常に憤りを感じている。他の人の演奏をぶち壊してしまうのは、どうしても必要な場合もあるけれど、大抵はそうではない。自分が目指すのは、他の奏者と協働して美しい響きを作り出すことである。もちろんトロンボーンパートであり金管セクション、管セクションとのコラボもそうなのだが、実は一番やりたいのは弦楽器全奏のサウンドに貢献することだ。典型例はシューベルト「未完成」の2楽章や「ザ・グレート」の1楽章の最後などの全奏である。

次の話は芥川也寸志氏が新交響楽団に向かって言った話とされている。

「どんな楽器でもセクション全体がよくなっていて精緻なアンサンブルさえできていれば、どれも同じような音色になる」

少し言い過ぎにも思うが、実際かなりそれに近い演奏もある。自分も周囲のアンサンブルがそうなれるようにやっているつもりである。具体的な話についてはまた語るチャンスもあるだろう。

閑話休題。

歳をとって演奏を続けていると、気を遣って褒めてくれる人も多いのだが、それでもなかなか言われたことがないのが

 おまえの音はきれいだ

という言い方。前述のような固定観念で実際の音を聞いてくれずに攻撃的にものを言う人もたくさんいるところで、つい先般、古巣の楽団に代奏にに出たとき、わざわざ「ソブカワは音がきれいだ」と言ってくれた人がいた。これは長いトロンボーン人生で2回目のことである。そのいずれもが女性ファゴット奏者であるというあたりにも考えるポイントがありそうだが、ともかくやる気が出る話である。
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楽器のトレーニング [音楽]

昨日は所属オーケストラの演奏会だった。自分の担当はバストロンボーンである。
毎週練習をして、年に2回の本番。良い趣味ですねなどと言われることもあるのだが、そうとも言えないと思っている。

まずその「週1度の練習」というのは、メンバーが集まっておこなう合奏練習である。特にオーケストラにおけるトロンボーンなど、休み数えが大半で、吹く練習にはまったくならないと言って良い。むしろ準備もなくいきなり大きな音を出すことで、調子が悪くなり、ひどい言い方をすれば下手になるための時間になりかねない。

なまじ色々なことを知っているために、半端なことでは自分が納得できない。金管楽器は他の楽器と比べてそれほど高いものではないということもあるが、使っている楽器は完全にプロ仕様、しかもかなりキツい難しい楽器なのでちゃんと練習をしないと吹けない代物なのだ。

世間のアマチュアの間でも「トシだから楽な楽器に変える」という話を聞く。まあそれはわかるのだが、そうなりたくない自分もいる。だがその前に本当に年齢ゆえだけのことなのかという気もしてしまう。

ところで。

プロ野球でも球速はあるがコントロールが悪いと言われる投手がいる。どういうことなのかと聞いてみると、才能はもちろん努力もしているのだが、それこそ150キロ以上の球速を出すには自分の身体を目一杯使わなくてはならず、その加減がうまくできないことのようだ。

スポーツ選手は自分の身体がメインだが、こちらの場合はすでに強力なサウンドを生むことができる楽器はある。問題はそのあとだ。結局それをコントロールするためにはこちらもその楽器に対応できる状況を作っておく必要がある。

そこでかなり重要なのが、その一日の始まりである。きちんとしたウォームアップをやって、きちんとした型を自分の身体に思い出させないと、その日全部がダメになってしまう。

そこで、よく知られたものを基にして、ウォームアップから始めるかなりハードなエクササイズを作ってこの半年ほど続けている。本当は毎日やりたいが、仕事もあるし場所と時間の制約もあって週3~4回しかできないことも多い。それでもある程度続けていることと、自分自身の御し方もわかってきた。

遅くとも練習は2日前には始めたい。日曜に本番があるならば金曜のスタートから丁寧に練習し、きっちり負荷をかける。土曜もめげずにやる。日曜の朝にもう一度やれば、本番はまず上手くいく。この「本番」は、ステージ本番だけでなく、上手い人と練習するとか、難しい曲を練習するといったことも含まれる。

プロの楽団の人に聞くと、練習は11時スタートだという。会場は9時から使えるところが大半だ。そう考えると例えば9時に行って2時間弱練習ができる。もちろんそんな個人練習を他人に見せるべきでないというのはわかるが、ラッパなどうるさい楽器だと自由に音を出せる環境はそうそうない。そうやって「明後日のための」練習を毎日しているんだろうななどと勝手に想像する毎日である。

もういい歳ではあるのだが、こうしたチャレンジを続けて行きたい。

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歴史の証人になった [音楽]

倉敷の出身で、プラハを中心にご活躍中のソプラノ・慶児道代(けいこ・みちよ)さんのリサイタルに行ってきた。(2018.2.2 東京文化会館小ホール)

最近は東京でマスタークラスを何度も開催され、小さいコンサートもやっておられるようなのだが、なかなか聴きに行くチャンスもなかった。2000年に滞在していたプラハでオペラを確か3つ,その後プラハに行ったときにコンサートを1つ,岡山でもコンサートを聴かせていただいたのだが,それからも10年以上の日々が経つ。自分の身体が楽器である声楽家は年齢とどう付き合っていくのかという問題もあるかもしれないななど、色々な興味も持ちながら行ってみた。
曲目はオール・チェコ・プログラム

1曲目。スメタナ「夕べの歌」全5曲。あんまり楽しくてすぐに終わっちゃった。知ってる曲なんて一つもない。ナレーターの西田多江さんの歌詞の解説もあって入りやすかったとはいえチェコ語ですぜ。でも楽しかった。本当にあっという間に終わってしまった。

2曲目。ドヴォルザーク「聖書の歌」全10曲。旧約聖書のチェコ語訳だし、もちろん知らない曲。スメタナ楽しかった~という余韻のまま、歌詞の対訳解説も読まず、ナレーターの解説を少し聞いて曲に入る。1曲目。ぐっと引き込まれる。すげえなこれ。そして2曲目が始まってすぐに動けなくなる。おいちょっと待て、ソプラノのリサイタルだぞ。コンサート会場で背中に電気が走って動けなくなるのはいつ以来だろう。そのまま喜びや神への感謝に満ちた慶児さんの表情に引き込まれ,終曲でまた背中に電気が。こんなに練れた,全身全霊を込めた歌に触れたのはもしかしたら初めてかもしれない。

休憩。立てなかった。

後半。ヤナーチェク歌劇「イェヌーファ」第2幕ハイライト。イェヌーファの独白。主人公の戸惑い、喜び、憂いと大きな変化が現れる大曲。このオペラは見たことがないのだが、ナレーターの解説がうまく情況を説明してくれたこともあるのだが、1人で完全に舞台が見える。いや違った。ピアノの石井里帆さんもすごい表現力だ。客席は完全に世界に引き込まれてしまって夢の世界だった。
そして最後。ドヴォルザーク歌劇「ルサルカ」抜粋。ピアノとナレーターと慶児さんだけで完全にオペラを再現してしまった。もちろんあるはずのない舞台が見える。これはプラハで一度見たのだけれど、その舞台が蘇ってきて、いやいや、それは違うよもっとこんな舞台かな、などなど。もうお客さんは完全にNarodni divadlo に連れていかれている。

なんと幸せな時間。

アンコール。ドヴォルザーク「新世界」2楽章より「遠き山に日は落ちて」。堀内敬三の歌詞なのだが、たぶん慶児さんの音楽の道に対する思いが重なっているんだろうな、という素晴らしい演奏。

聴きに来た人は,歴史に残るすごい場に立ち会えた幸せ者だと思う。



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