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そもそも数学嫌い [数学的に話す技術・書く技術]

長らく数学屋をやってると「頭良いんですね」などと言われることが多いのだが、医者だって弁護士だって、いやそういう仕事ではなくても、ホワイトカラー系のビジネスマンでも工場で物を作っている人でもみんなそれぞれに「頭が良い」。かなりマニュアル化され単純化されているとは言っても、コンビニの店員だって決して簡単な仕事とは思わない。

ではなぜ数学屋がそう言われるのか。

その裏には「自分が嫌いだから」「自分が苦手だから」というコンプレックスがあるように思える。

確かに数学は難しいと言える。一方で例えば全く数学を学ばずに高校を卒業することはできない(ことになっている)。もっと重要だと思う日本地理を学ばなくても高校は卒業できるのになぜ数学を?

数学教育の問題については言いたいことが山のようにある。それについては取りあえず岡山時代の旧ブログに山のように書いたので、そちらを見てもらうことにしよう。

そこでそもそも考えたい。
37÷5=7あまり2
という式を「分かる」人は多いと思う。そしてこれが「柿がたくさん生ったので近所に配るときには」などという具体例が持てる人も多いだろう(これは小学校教育の勝利である)。

ところが中学以上になると、書いてある式がさっぱり分からない人も多いと思う。当然である。それは意味が分からないのである。数学的な意味を説明することはできても、それが何を指すのかわからないというのは当然のことである。

意味の分からない式を出され、計算をさせられ、○だの×たの言われても不快なだけだ。それで数学が嫌いになるのはむしろ真っ当な感覚だと言える。

数学というのは1つのものの見方である。使いようによっては便利なものである。そんな話を書いてみた。

第2章「ものの見方としての数学」では、数学の話なのになぜか高村光太郎の小説の一節を挙げてある。小説は簡単なのか。数式が難しいのか。必ずしもそうではないだろう。





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  • 発売日: 2021/10/15
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