リボルビング払いのこと [数学的に話す技術・書く技術]
リボルビング払いにしませんか、という広告がかなり目立つ。
とは言っても、なんでそうなるのかピンとこない人が多いだろう。隔月で4万円の買い物をして毎月2万円のリボ払いなら別に良いじゃんという気もするのだが、そう単純ではない。
このことを数学(この場合は数列、漸化式)を使って「表現」し、Excelにでも計算させればその状況がよく分かる。
ただし「だからリボ払いはダメだ」とも書けないわけで、それによって恩恵を被る消費者もいるわけだし、企業からすれば正当な商行為への妨害だということにもなりかねない。
そこで、リボ払いをどう使えばどうなっていくかということについて、1つの例で簡単なExcelシートを作ってみせた。それをどう使うかは読者の皆さんが決めることです。
リボ払いにしたら何千ポイント≒何千円贈呈!みたいなキャンペーンが張られていて、お?お得?とか思うかも知れないけれど、そんな大盤振る舞いをしてもトータルでは会社が儲かるからやっているわけで、良く考えなくてはいけない。
とは言っても、なんでそうなるのかピンとこない人が多いだろう。隔月で4万円の買い物をして毎月2万円のリボ払いなら別に良いじゃんという気もするのだが、そう単純ではない。
このことを数学(この場合は数列、漸化式)を使って「表現」し、Excelにでも計算させればその状況がよく分かる。
ただし「だからリボ払いはダメだ」とも書けないわけで、それによって恩恵を被る消費者もいるわけだし、企業からすれば正当な商行為への妨害だということにもなりかねない。
そこで、リボ払いをどう使えばどうなっていくかということについて、1つの例で簡単なExcelシートを作ってみせた。それをどう使うかは読者の皆さんが決めることです。
行列って行と列 [数学的に話す技術・書く技術]
行列の話はまたかなり問題。
「ラーメン*郎にできる行列」とは全然違って、行&列なのよ。
横に数が並んだのが行。
縦に数が並んだのが列。
縦横長方形に並んだのが行列。
まあ表みたいなもんです。
ある程度勉強した人でも、行列の掛け算が分からん、と言う。
そりゃそうだ。不自然だもん。
つーか。
そもそも数学なんて全部不自然だよ。
例えば赤いバラが3輪と白いユリが2輪と黄色いヒマワリが1輪あったとき全部で6輪とかおかしいじゃん。バラは薔薇。ユリは百合。ヒマワリは向日葵。別のもんじゃん。それを一緒くたにするのはおかしいと思う感性って間違ってないと思う。
だって、飛行機が1機とカラスが2羽とトンボが3匹(3頭かな)、全部で6はおかしいでしょ。
そういう辺りに数学の難しさがあるわけ。
で、行列は表だとして、「表と表の掛け算」って言ったときにそもそもおかしいわけですよ。意味が分からん。
でもね、あんな風にして決めると都合が良いことが結構たくさんある。だからそういうふうに決めたわけ。イヤだと言っても良いのよ、別に。だけどあれはあれで使い出がある。使えるツールだからそう決めておくわけ。
それを説明しようと頑張る人がいるけれど、そもそも不自然なんだから勘弁してねっていうのがもっとも正しい説明。
そんな話もたくさん書きました。
「ラーメン*郎にできる行列」とは全然違って、行&列なのよ。
横に数が並んだのが行。
縦に数が並んだのが列。
縦横長方形に並んだのが行列。
まあ表みたいなもんです。
ある程度勉強した人でも、行列の掛け算が分からん、と言う。
そりゃそうだ。不自然だもん。
つーか。
そもそも数学なんて全部不自然だよ。
例えば赤いバラが3輪と白いユリが2輪と黄色いヒマワリが1輪あったとき全部で6輪とかおかしいじゃん。バラは薔薇。ユリは百合。ヒマワリは向日葵。別のもんじゃん。それを一緒くたにするのはおかしいと思う感性って間違ってないと思う。
だって、飛行機が1機とカラスが2羽とトンボが3匹(3頭かな)、全部で6はおかしいでしょ。
そういう辺りに数学の難しさがあるわけ。
で、行列は表だとして、「表と表の掛け算」って言ったときにそもそもおかしいわけですよ。意味が分からん。
でもね、あんな風にして決めると都合が良いことが結構たくさんある。だからそういうふうに決めたわけ。イヤだと言っても良いのよ、別に。だけどあれはあれで使い出がある。使えるツールだからそう決めておくわけ。
それを説明しようと頑張る人がいるけれど、そもそも不自然なんだから勘弁してねっていうのがもっとも正しい説明。
そんな話もたくさん書きました。
数列ねぇ [数学的に話す技術・書く技術]
数列って結構簡単なはず。
なんていう計算を得意な人はたくさんいるのでは。
で、この***のところに何が入るかは結構すぐにわかるのではないでしょうか。
あ、そうか、今頃は麻雀なんかやらないのか。30符1飜だと何点かなんて。
こうやって数が並んでいる話は難しくないと思うのです。
しかし
なんて書いてあるとびびってしまう人も多いかも、と。
でもこれもなんていうことは無いのです。
a1=3×1+2
a2=3×2+2
a3=3×3+2
a4=3×4+2
a5=3×5+2
a6=3×6+2
別に難しくないでしょ。
なのになんだか身構えちゃう。問題はあれだな。 Σ
これも実は単なる足し算なのに。足し算、簡単でしょ。
でもそうでもないんだよね。何せ厳めしい。何せ記号がよくわかんない。
しかもなんか知らない公式を覚えろとか?
やだよ。
じゃあどうすれば?
決まってるじゃん。そんなのコンピュータを使えばいい。
でも全くのブラックボックスにするのは怖い。電卓押し間違えて、あなたの今月の給料は800万円です、なんて言われてぬか喜びしても、結局返せって言われるだけだし。
その程度のことならともかく、いろいろ困ることがある。
本を見ながら一緒にExcelとか使って見るのも良いかも。
3,6,12,24,48,***,192,384
なんていう計算を得意な人はたくさんいるのでは。
で、この***のところに何が入るかは結構すぐにわかるのではないでしょうか。
あ、そうか、今頃は麻雀なんかやらないのか。30符1飜だと何点かなんて。
こうやって数が並んでいる話は難しくないと思うのです。
しかし
an=3n+2
なんて書いてあるとびびってしまう人も多いかも、と。
でもこれもなんていうことは無いのです。
a1=3×1+2
a2=3×2+2
a3=3×3+2
a4=3×4+2
a5=3×5+2
a6=3×6+2
別に難しくないでしょ。
なのになんだか身構えちゃう。問題はあれだな。 Σ
これも実は単なる足し算なのに。足し算、簡単でしょ。
でもそうでもないんだよね。何せ厳めしい。何せ記号がよくわかんない。
しかもなんか知らない公式を覚えろとか?
やだよ。
じゃあどうすれば?
決まってるじゃん。そんなのコンピュータを使えばいい。
でも全くのブラックボックスにするのは怖い。電卓押し間違えて、あなたの今月の給料は800万円です、なんて言われてぬか喜びしても、結局返せって言われるだけだし。
その程度のことならともかく、いろいろ困ることがある。
本を見ながら一緒にExcelとか使って見るのも良いかも。
そもそも数学嫌い [数学的に話す技術・書く技術]
長らく数学屋をやってると「頭良いんですね」などと言われることが多いのだが、医者だって弁護士だって、いやそういう仕事ではなくても、ホワイトカラー系のビジネスマンでも工場で物を作っている人でもみんなそれぞれに「頭が良い」。かなりマニュアル化され単純化されているとは言っても、コンビニの店員だって決して簡単な仕事とは思わない。
ではなぜ数学屋がそう言われるのか。
その裏には「自分が嫌いだから」「自分が苦手だから」というコンプレックスがあるように思える。
確かに数学は難しいと言える。一方で例えば全く数学を学ばずに高校を卒業することはできない(ことになっている)。もっと重要だと思う日本地理を学ばなくても高校は卒業できるのになぜ数学を?
数学教育の問題については言いたいことが山のようにある。それについては取りあえず岡山時代の旧ブログに山のように書いたので、そちらを見てもらうことにしよう。
そこでそもそも考えたい。
ところが中学以上になると、書いてある式がさっぱり分からない人も多いと思う。当然である。それは意味が分からないのである。数学的な意味を説明することはできても、それが何を指すのかわからないというのは当然のことである。
意味の分からない式を出され、計算をさせられ、○だの×たの言われても不快なだけだ。それで数学が嫌いになるのはむしろ真っ当な感覚だと言える。
数学というのは1つのものの見方である。使いようによっては便利なものである。そんな話を書いてみた。
第2章「ものの見方としての数学」では、数学の話なのになぜか高村光太郎の小説の一節を挙げてある。小説は簡単なのか。数式が難しいのか。必ずしもそうではないだろう。
ではなぜ数学屋がそう言われるのか。
その裏には「自分が嫌いだから」「自分が苦手だから」というコンプレックスがあるように思える。
確かに数学は難しいと言える。一方で例えば全く数学を学ばずに高校を卒業することはできない(ことになっている)。もっと重要だと思う日本地理を学ばなくても高校は卒業できるのになぜ数学を?
数学教育の問題については言いたいことが山のようにある。それについては取りあえず岡山時代の旧ブログに山のように書いたので、そちらを見てもらうことにしよう。
そこでそもそも考えたい。
37÷5=7あまり2という式を「分かる」人は多いと思う。そしてこれが「柿がたくさん生ったので近所に配るときには」などという具体例が持てる人も多いだろう(これは小学校教育の勝利である)。
ところが中学以上になると、書いてある式がさっぱり分からない人も多いと思う。当然である。それは意味が分からないのである。数学的な意味を説明することはできても、それが何を指すのかわからないというのは当然のことである。
意味の分からない式を出され、計算をさせられ、○だの×たの言われても不快なだけだ。それで数学が嫌いになるのはむしろ真っ当な感覚だと言える。
数学というのは1つのものの見方である。使いようによっては便利なものである。そんな話を書いてみた。
第2章「ものの見方としての数学」では、数学の話なのになぜか高村光太郎の小説の一節を挙げてある。小説は簡単なのか。数式が難しいのか。必ずしもそうではないだろう。
「数学的に話す技術・書く技術」10月15日出版決定 [数学的に話す技術・書く技術]
早稲田に来てすでに7年半。それだけの年月が経てばそれなりに人も状況も変わるわけだけど、岡山時代に書いていたブログはかなり楽しく書き散らしていたのに、こちらに来て作り直してから、ほとんど過疎過疎。。。あ、1年以上書いていなかった。。。
一方でいろいろなことはやっている。音楽活動の話はさておき、メインの仕事は
ワセダはそれを含む「アカデミックリテラシー」教育の中心機関として「グローバルエデュケーションセンター」なる組織を作った。「基盤教育」として
コロナ禍のため昨年から急にポピュラーになったが、フルオンライン授業・フルオンデマンド授業なんていうのはこちらはもう十数年のキャリアがある。老舗としての矜恃もあるし、一方で他に先駆けたものは今もたくさんやっている。
対学生ということではそんな枠組みも使って手広く教育を行っているのだが、それをアカデミアの中だけで話を終わりにしてはいけない。早稲田は創立者大隈重信が
を理念として掲げている。多くの人に学ぶ場を提供するのがその使命であり、我々は率先してそれを行わなくてはならない。
ところで。
東京に帰ってきたのを機に昔の仲間に会うことも容易になった。そんな中、学生時代は同じオーケストラで一緒に楽器を吹き、また互いにそのユニークさを評価していることもあって仲良くしてもらっていた、山本直人氏との再会は大きな契機になった。氏は博報堂でコピーライターからマーケティング、人材育成と色々な仕事を手がけ、40歳で独立してコンサルタントをしたり大学で教えたり、本を書いたり講演をしたり、手広く忙しくしている人である。(ウィキペディア。そうか、彼は評論家なのかw)
長い間年賀状程度のやりとりであった彼と再開し、社会人にも数学の素養が求められているという話でいきなり話が盛り上がった。そして1つ本を書こうかという話に。
かなり時間がかかったが、3年半ほどの成果がこのほどやっとまとまった。
近々出版される予定のその本について、これから少しずつ述べていこうと思う。
一方でいろいろなことはやっている。音楽活動の話はさておき、メインの仕事は
「文系」学生に数学的な素養をつけさせることである。今世紀に入ったころから
数学を学んだ経験は所得に反映するというような調査結果も報告され始めたように、その重要性は多くの人に感じられているようである。
ワセダはそれを含む「アカデミックリテラシー」教育の中心機関として「グローバルエデュケーションセンター」なる組織を作った。「基盤教育」として
アカデミックライティング、数学、データ科学、情報、英語の5部門が設けられており、そこの教員として自分は嘱任されたわけである。
コロナ禍のため昨年から急にポピュラーになったが、フルオンライン授業・フルオンデマンド授業なんていうのはこちらはもう十数年のキャリアがある。老舗としての矜恃もあるし、一方で他に先駆けたものは今もたくさんやっている。
対学生ということではそんな枠組みも使って手広く教育を行っているのだが、それをアカデミアの中だけで話を終わりにしてはいけない。早稲田は創立者大隈重信が
開かれた大学・門のない大学
を理念として掲げている。多くの人に学ぶ場を提供するのがその使命であり、我々は率先してそれを行わなくてはならない。
ところで。
東京に帰ってきたのを機に昔の仲間に会うことも容易になった。そんな中、学生時代は同じオーケストラで一緒に楽器を吹き、また互いにそのユニークさを評価していることもあって仲良くしてもらっていた、山本直人氏との再会は大きな契機になった。氏は博報堂でコピーライターからマーケティング、人材育成と色々な仕事を手がけ、40歳で独立してコンサルタントをしたり大学で教えたり、本を書いたり講演をしたり、手広く忙しくしている人である。(ウィキペディア。そうか、彼は評論家なのかw)
長い間年賀状程度のやりとりであった彼と再開し、社会人にも数学の素養が求められているという話でいきなり話が盛り上がった。そして1つ本を書こうかという話に。
かなり時間がかかったが、3年半ほどの成果がこのほどやっとまとまった。
近々出版される予定のその本について、これから少しずつ述べていこうと思う。