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ごちゃまぜのラーニングセンター [教育について]

久々に、どうしても書きたくなった。

日本の教育問題の根本にある「学年学級制」を克服する大胆提言
「未来の学校」とはどんなものだろうか
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65486 

このところ、こっち方面はご無沙汰ではあるが、昔から注目していた苫野一徳氏の近著からの抜粋だという。

昔々あるところに。もう四半世紀も前のことである。

私が前職・岡山大学教育学部に赴任して初めて附属小学校の公開研究会を見に行ったときのこと。
当時、あそこにはまだ「ていふく」「ちゅうふく」というクラスがあった。
漢字で書けば「低複」「中複」。1,2年生の複式学級、3,4年生の複式学級である。

当時から岡山県内では複式学級が各地に展開されており、それを研究するためにこうしたクラス編成がしてあったわけである。自分は複式学級など見たことがなかったので、「低複」の算数の授業を見学に行った。忘れもしない算数部会所属で低複担任のF先生の授業。しかもそのクラスは20+20という、普通の複式ではあり得ない大きなクラスだったのだが。

まずは2年生にはプリントを配って(公開授業用に、予め机の中に仕込んであったのはまあよしとして)計算の復習をさせる。その裏で1年生にも別のプリントを配って曰く「今日は虫取りをしよう」。形の分類といった話だったように思うのだが、2年生は一斉に1年生の方を見る。もちろんそこまで織り込み済みだ。そして説明をしてプリント上で作業をさせる。そうしているうちに今度は2年生は無私の数を数えて計算に向かう。確かそんなことだったように思う。

同じ算数の授業で、違う内容ではあるのだが、関連した題材を選ぶ。相互の影響があることを前提にして授業設計をする。こういう世界を全く知らない私は、本当に感動したものであった。

数年後、F先生は愚息1号の1年から4年までを教務主任(実質的には副教頭格)としてご指導下さり、継いで教頭になられて異動、その後岡山大学教育学部に実務家教員として来られ、最後はまた小学校および県の施設の長としてへ戻って行かれた。ご自身曰く、算数よりも特別支援教育の方が本職だと言われたが、書道専科や家庭科専科(男性の先生である)として素晴らしい指導を愚息に施して下さった。今でも尊敬する先生の一人である。

さて。今回の苫野氏のこの抜粋記事を見て、複式学級のことを思い出した。実際に岡山大学教育学部附属小学校に通った(当時の)子どもたちに聴いてみると、複式はクラスの仲が特に良く、クラス替えでばらばらになってもその絆は消えず、複式に行かなかった子たちからはうらやましがられたのだという。

もちろんこんな大人数の複式学級の授業は難しい。あの学校では部分的に教科担任制であったから出来た部分もあるとは言える。しかし今の学校で20人クラスを目ざすのなら、最初からこのように複式で組んで担任を二人付ける方がいいのではないかと思う。

理由はよく分からないが、同小学校の複式学級はその後なくなってしまった。地方都市においては「優秀な子が集まる小学校」としての機能が強調されるようになったのかも知れない。それをとても残念に思ったことを思い出した。

苫野氏の言う「ごちゃまぜのラーニングセンター」。日本語が十分に話せない子がいたり、学習障害のある子がいたり、逆にうんと優秀な子や受験をしちゃうような子。病欠で留年してきた子の居場所にもなる。それは単に多様性があるというだけでなく、それを吸収することの出来る集団。

この発想に賛同するし、大きく取り上げられないかと期待している。
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