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教養ということ [教育について]

早大に赴任して2週間が経った。

新しい職場は色々な意味で刺激がある。今現在は2つの講義の初回を終えただけのところであるが、それでも学生諸君のもたらすものは、自分にとってとても貴重なものである。それを十分味わいつつ、何ができるかを模索しているところではある。

さて、前の職場からこちらへ移るとき、多くの人たちから「栄転おめでとう」と言われた。隠していてもわかることだからズバリ言えば給料は高くなった。「地方」ではなく東京だ。大学入試ランキングでいえば偏差値60ぐらいの大学から70越えの大学へ移ったわけだし,週刊東洋経済の最近の大学総合ランキングで言えば51位の大学から6位の大学へ移ったわけで、格上げかもしれぬ。,

ところが、「早稲田の何学部へ?」という話になった時に、「グローバルエデュケーションセンター」などと言っても通じないので、「まあ教養部みたいなところですかね」というとほとんどの人はそこで会話が止まってしまう。つまり格下げというわけだろう。

そこで、早大出身で岡山大では公私ともに薫陶を受け、今は日体大でスポーツ哲学の教授を務めておられるS先生が昔から言っておられたことを思い出す。
そもそも学生に教養を語るのは、碩学のみがなしうることである。

S先生のおっしゃることはなかなか納得のいくものであって、その時考えてみたら、数学の周辺において教養になるようなことを語ることなどとてもできないと思っていた。その私が齢五十にして教養教育に転じたわけである。

もちろん異動したこと自体には、タイミングと運が大きなウエイトを占める。しかし私は昔から
何のために数学が必要とされるか

という問題には興味があった。直接これを使う「理系」の人たちのことはどうでもいい。むしろ「文系」と言われる人たち=多くの場合は数学が嫌い/できなくて「文系だ」と言っている=のことが気になっていた。1992年に当時勤務していた慶應義塾高等学校紀要にそういう文章を寄稿したことを思い出す。それはその前、自分の出身校である慶應義塾志木高等学校の教壇において感じたことに端を発する。

さらに教員養成の現場において学生と関わる中でさらに広く
「教養」とは何か、また何のために必要か
 
について考えてきた。その中で目にしたのが,あの池上彰・東京工業大学教授の連載である。

日経ビジネスオンライン
池上彰の学問のススメ

2011年夏からの連載開始である。池上彰氏は東工大教授と言ってもわからない人が多いかもしれないが、元NHKの記者だった、あの池上氏である。

その連載が本になったというので、連載は全部読んでいるが、改めて買ってみた。

池上彰の教養のススメ 東京工業大学リベラルアーツセンター篇

池上彰の教養のススメ 東京工業大学リベラルアーツセンター篇

  • 作者: 池上 彰
  • 出版社/メーカー: 日経BP社
  • 発売日: 2014/04/03
  • メディア: 単行本


読み返してみて、最初に引っかかったのが以下のくだりである。(同書p.79~p.80,池上氏および上田紀行・東工大教授の発言)
教育社会学者の永井道雄さんは、かつて東工大で教授を13年間務めて、朝日新聞社へ移り、その後文部大臣を務めた方です。(中略)永井さんは非常に鋭い指摘をしています。教師にとって、教養課程を教えることは専門課程を教えることよりも難しいのだと。


永井氏の言葉は、その著「大学の可能性」(中央公論社、1969)によるものだという。

早大に来て教養の講義を始めてみて、そして学生の反応を見るにつけ、その大変さを実感しているこの頃である。それは単に「物知りか?」ということではない。ググれば色々なことがわかる昨今、単に知っているだけでは意味がない。幅広く体系的に知っていること、そしてそれを色々な興味を持つ学生に講じること。

そのやりがいと大変さに身震いするこの頃である。

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