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もしかして、偉くなったのかな(笑) [しょーもない独白]

最近はネトウヨなんていう言葉も聞かれるようになったが、左翼だの右翼だのといった枠組みはどちらもつまらないように思える。旧ブログに昔書いたが,朝日新聞と文藝春秋を愛読する私は、そうした枠組みのどちらに組み込まれることも不快で、自分なりの考え方で生き方を決めていきたいと思っている。

さて、早稲田大学に赴任して1ヶ月が経とうとしている。「在野精神」「批判精神」を尊ぶ大学であることは知っていた。昔は「左翼」と言われる人たちがたくさんいたようだし、かつてはそういう人たちと深すぎる関係があったとかなかったとかで、学園祭が何年もの間開催されなかったこともある(たとえばこんなサイトを見るのはおもしろい)。

ところで、私が所属するのは,「グローバルエデュケーションセンター」という組織である。全学を横断的にみた教養教育を中心とするセンターである。昔、多くの国立大学にあった「教養部」のようなものと役目が近い部分もあるが、考えているあり方はずいぶん違うと思う。組織としての発足は2013年4月、そしてここを本属とする教員(つまり私のこと)が初めて採用されたのは2014年4月である。すでにここでも述べているように、この期に及んで「グローバル」なんていう表現を用いて新組織を作っているようでは、天下の早稲田大学の名が廃るとは思うのだが、「現状を変えたい」という基本的な考え方からすると至極まっとうな話である。

しかしその私には一つ大きな問題がある。いや、私の側には特に思うことはないのだが、私を取り巻く大きな問題である。それは私の「本属問題」である。

早稲田大学の教員はだいたい、教育組織を基盤とした「学部」というくくりと、研究組織としての「学術院」という組織に組み込まれている。学術院の方は大学院とも関係していて、「研究科」という組織もあるが、普通は「学術院」と「学部」が本属ということになる。ところが私の場合、本属は教育組織である「センター」である。大学教員たる者、研究をしなくては教育もできないというのはその通りで、赴任前から自分の数学に関する知見の幅を広げることに腐心しているところではある。

今日、教員組合&職員組合の広報を目にした。私の感覚では組合費がずいぶん高く、参加がためらわれるものではあるが、その広報紙が私にも配布される。そこで今日見たのは、「ミニシンポジウム・『グローバルエデュケーションセンター」について(1月24日実施)」の報告記事であった(きょうとうニュース第677号。2014年4月24日付。ネットには上がっているが、パスワードがいるようで、つまりは非公開なのでここには挙げないことにする)。

そこにはこのセンターの執行部がこの新組織について説明し、それに関する問題提起や質疑応答がなされた記録が上がっていた。

このシンポジウムの時点ではすでに私の採用(早大では大学を主語とする「嘱任」という表現が用いられる)は理事会決定されていたのであるが、その実態はほとんど知られていない。その段階ではわからないことではないのだが、つまりは

センターの人事で勝手に採用したヤツを、後から学術院に入れろと言われても知らねぇよ。そいつが使えるかどうか、わかんねぇじゃんか。俺たちは俺たちで判断するんだ。

ということのようである。前任の職場で、自分の本属の研究科のほかに隣の研究科も兼担させてくれといったら、システム的なことは別としてウェルカムだったのと比べると、大きな違いである。

「左翼」は必ずしも「変えていく」ことを目指しているわけではない。「右翼」的な社会では「変える」ことを目的とするわけだが、「左翼」的な社会では「左翼」は現状維持を望む改革派である。

昨今、大学の統治機構について、学長の権限を大きくし、これまでの教授会支配をやめさせようといううごきがある。そうした考えに則った法律案が去る4月24日閣議決定されたとの報道があった。

よい独裁よりも悪い民主主義の方がまだましだ


という意見には賛成したいけれど、こんなことを言われるようになってしまった側は、単に反発するだけではだめで、変えていくためのアクションを起こさなくてはならないと思うし、その前にそういう風に動いているべきだった。「何でも反対○○党」は楽な話だ。しかし個別のことに細細反対するようでは仕方がない。ひどい「反動守旧派」である。

今回目にした文書は、「いかがなものかという問題提起」だそうだが、当事者としては「おまえは仲間に入れてやらない」と言われているように読める。まあ自分が早大で大学院生の指導をする資格があるかないかについては自分で判断することではないわけで、ダメだといわれるならそれで仕方がないが、現状ではどこの学術院にも入れてもらえないわけで、そういうことなら勝手にさせてもらいますと思う。

(実は一番ネックになっている)組合費の問題は別にしても、ここの組合がこういうところならば、私は入る気にはならないな。

しかしまあそんなことはどうでもいいとして、自分に所以のないことで悪く言われるようになったというのは、私も偉くなったものである(笑)。


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