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デジタルとアナログ [英語ねぇ]

「数理と社会」の講義で、暗号の数理の話の前振りとして情報理論の話をしようと思って、ネットを見ながらネタを考えていたら、おもしろいサイトに出会った。

胡谷和彦「数とは何か」
http://www7a.biglobe.ne.jp/~number/

まあその本題であるところについてはまたじっくり議論してみたいのだが、今日は「英語と数学の読み方」なんていうすげえ名前の講義を出しているところに関連して、次のページが目にとまった。

「アナログ情報の価値」
http://www7a.biglobe.ne.jp/~number/analog.html

胡谷氏は、「言語そのものはデジタルである」と主張している。異論がある方もあるかもしれないが、氏の立場からすれば「デジタル」と見るしかないのである。

なおここでは、基本的に言語そのものは文字で記録できるものとしている。私が講義で扱う「英語で書かれたテキスト」も全くその通り。だから、本の装丁などがもたらす情報は別として、文字情報そのものはデジタルで100%表せる。

それゆえに多くの学生はそれを「デジタル的」に
 
1.辞書で単語を調べ、その訳語を探し
 2.文法の時間に習った力を一生懸命使って
 3.日本語に直して

それから内容を考えようとする。私はこれまで「受験指導が悪い」「英語教育が悪い」などと色々言ってきたが、むしろ問題はもっと深いところにあるような気がしてきた。

シャノンの通信モデルを見よう。 (たとえばここに上がっている図)

この図の中で、情報を見て英語で書くのが「符号器」、そしてそれを読むのが「復元器」と見てもらいたい。


まず、復元作業では当然単語ごとにとらえることになる。英語が得意でない人は、そこでその「意味」をそれぞれ考える。そしてそれをつなげようとする。しかし残念ながらその段階で多くの情報は送信側からすると「望ましくない」ものになってしまう。だからその後、いくら日本語に直して考えても意味がないのである。

復元器の中では、そもそものコンテクストを考え、どういう文脈でその文章が存在しているかをあらかじめ想定しておき、その流れの中で復元していくのである。ここで大切なことがわかっていないケースが多い。それは
この復元器からの出力は、読み手の脳の中である
ということだ。すなわち読み手が「内容を理解する」ことがこの出力である。もちろんその理解には母語の手助けがいるケースが多いが、この出力は「日本語で書かれた文章」ではないのだ。

もちろんそれをさらに、日本語で意味のわかる文章にすることは必要になってくる。だがそれは次の段階である。最初の段階の出力は「脳の中での理解」である。

翻訳という作業は、その次の段階で行われることである。時々、数学関連の文献の和訳があまりにもひどいと思うことがあって、よく見ると数学者でない人が翻訳をしているというケースが見られる。これは最初の理解の段階の復元が十分でないことによるのである。

そしてその復元の作業は、これまたデジタル的に割り切れない、アナログ的な「コンテクスト」が必要になってくる。およそ「デジタル的な理解」など有り得ない(それを丸暗記である)。あくまでも理解はアナログ的な連続的なものである。

もしコンテクストが何もない状況でいきなり母語でない文章を読むときには、最初からコンテクストを作りながら読み進めなくてはならないため、時間がかかるのだ。

先般の講義のレビューで、「先生はこの文を理解するのに3時間もかかったとさんざん言っていたが、こんな英文簡単じゃないか。3時間も何やってたんだ」という指摘をした学生があったが、英文がいくら簡単で、すぐに和訳が出来ても、コンテクストを自ら作り上げるのは簡単でないのだ。

結局のところ、アナログの方が情報量は多い。しかしデジタルにはデジタルの色々な良さがある。この50年ほどはコンピュータを交えた情報革命が起きたと言われている。そしてそれがグーテンベルグの印刷術に匹敵するとある。印刷についてよく考え直してみると、文字言語=デジタルの普及であり、それにより伝搬が容易になったと同時に、それを解釈するための世界が豊かに広がったのだ。同時に聖書の解釈が多様化したり、文学が人間社会に大きな影響を与えたりするようになった。

こんなことを間口に、色々と考えることは多い。


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