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溢れるまで考える [教育について]

今期は,今までやったことがない講義を2つ新たに開講している。

大学生向けの数学のテキストをそのまま講ずるというならそれほど大変ではないが、それでは意味がない。特に「教養」の講義を担当しているわけで、しゃべる側のレベルを上げなくてはならない。一方で数学が専門でない、むしろ数学が嫌いという学生を対象にしたいし、そうしている。

そんな講義の準備を非常に楽しんでいる。「非常に」というのは妙な表現だが、正直に言えばその過程は苦しい。前任校での講義は、たとえば英語で講義をするのでも90分の講義に対して予習は1分程度、何をやるかをさっと見るだけ。だが今回はそうはいかない。

1つはまったく「教養としての数学」なので、テキストを読めば済む話ではいけないので、ある程度自分で題材を作り直さなくてはならない。

もう1つは、易しい初等整数論に乗った数学なのだが、英語の文章が読みにくく(実はそこが講義の主眼でもあるのだが)それをフォローする図表が間違っていたりして、自分のセンスを磨き直す作業が必要になる。

いずれにせよ、読んで調べて考えて、自分の頭の中にその構図ができあがらないと、講義の準備を始められない。そう思っているところで、こんな文章を読んだ。

慎泰俊 「プロフェッショナルの作法」
小熊英二【第1回】「人間は不完全な存在だから、人間の考える理論で世界を覆うことは無理だと思う」 探究し、社会に適合させる「学者」という仕事
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39549

本当に注目すべき論者たちの対談である。その中で印象に残ったのは次の言葉である。
資料を読み込んで、ある閾値を超えた段階で書き始める

およそ「文系」の内容に限定するが、書き手がそうなってからでないといいものがかけないのである。
これは講義にも通ずる。基本的に前々日までには講義の準備を終えるようにしているが、それに向けて考える時間は楽しくもあり苦しくもある。

大学は基本的にはそういうところでなくてはいけない。「公式を覚えてそれを使って点数を取る」なんていうのはその遙かに手前の段階である。こうやって考えていく中にイノベーションが起きるんだろうなとぼんやり思いながら、今日も講義の準備をしている。

なお、講義で使っているテキストは次の2つ。

数理と社会 増補版: 身近な数学でリフレッシュ

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  • 作者: 河添健
  • 出版社/メーカー: 数学書房
  • 発売日: 2012/09/24
  • メディア: 単行本



Mathematical Games and How to Play Them (Dover Books on Mathematics)

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  • 作者: Steven Vajda
  • 出版社/メーカー: Dover Publications
  • 発売日: 2007/12/26
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