柳美里氏に対する原稿料の未払い問題を見ていて [社会について]
このところネット上で、芥川賞作家の柳美里氏が、雑誌に書いた原稿料を何年ももらっていないという話をネット上で説明し始めたことについての波紋が広がっている。
最初はこの記事から始まっている。
http://blog.goo.ne.jp/yu_miri/e/5d4d7a14d483a42ec4d3ec53a1f02cc5
その後、詳しい経緯についてこんなインタビューも上がっている。
http://getnews.jp/archives/686281
巷間では「ブラックだ」などという話で持ちきりである。まあその指摘はその通りで、それを蒸し返したり加勢したり反論したりする暇はない。
相手方の雑誌の編集長の言い分も挙がっている
http://www.tsukuru.co.jp/tsukuru_blog/2014/10/post-190.html
のだが、それを読んでいて、自分の昔の状況を思い出していた。
2005年,旧日本銀行岡山支店の建物を改修してオープンした「ルネスホール」。 http://renaiss.or.jp/about.html
単なる貸館ではなく、ここが文化の発信基地になるように、というコンセプトに共感し、安価で気軽に聞くことのが出来るコンサートシリーズを、でオープン直後から毎月行わせてもらった。
素晴らしいスポンサーもたくさん付き、ホール側も全面バックアップで足かけ7年、合計60回ものコンサートシリーズをプロデュースさせてもらった。多くの奏者に賛同してもらい、本当に雀の涙ほどのギャラで出演してもらった。
もちろん自分は手弁当であったがそれでも赤字は累積した。昔、パチンコ屋さんの親分がインタビューで
その中で、毎回チケット・散らし・ポスターについては、友人のデザイナーに頼んでいた。彼もこの事業に深く賛同してくれて、ギャラは要らないという話だったのだが、そのデザインがこのシリーズの大きな部分を担っていたので、これまた雀の涙ながら最低限は必ず現金でその場で渡してきた。それが形のない、しかし意味のある材を提供してくれる人への最低限保証すべき評価であるからだ。
今回の件を見ていて、支払うべき側には、昔の私と同じ甘えがあったのだろうとおもった。私の場合も1度出演してもらって、ギャラが安いので2度目はなかった人もたくさんあった。それがプロの世界である。
そういえばその頃ちょうど烏賀陽弘道氏のこんなブログ記事も見ていた。
うがやの「毒にも薬にもなる話」2009-04-07 ライブハウスはミュージシャンを育てない。なぜなら!http://ugayaclipping.blog.so-net.ne.jp/2009-07-23-10
ここではライブハウスというハードを持っている人が威張っているということだ。
日本は本当に形にならない物、音楽でも文芸でもデザインでも、広い意味では情報というべきだと思うが、それを作る人に対する評価が低い。それをきちんとしなくては、これから国が発展することは出来ない。なぜなら、大量のもの作りで国を支えていく時代はとっくに終わっていて、形にならない付加価値で食べていく国になっているのだから。
最初はこの記事から始まっている。
http://blog.goo.ne.jp/yu_miri/e/5d4d7a14d483a42ec4d3ec53a1f02cc5
その後、詳しい経緯についてこんなインタビューも上がっている。
http://getnews.jp/archives/686281
巷間では「ブラックだ」などという話で持ちきりである。まあその指摘はその通りで、それを蒸し返したり加勢したり反論したりする暇はない。
相手方の雑誌の編集長の言い分も挙がっている
http://www.tsukuru.co.jp/tsukuru_blog/2014/10/post-190.html
のだが、それを読んでいて、自分の昔の状況を思い出していた。
2005年,旧日本銀行岡山支店の建物を改修してオープンした「ルネスホール」。 http://renaiss.or.jp/about.html
単なる貸館ではなく、ここが文化の発信基地になるように、というコンセプトに共感し、安価で気軽に聞くことのが出来るコンサートシリーズを、でオープン直後から毎月行わせてもらった。
素晴らしいスポンサーもたくさん付き、ホール側も全面バックアップで足かけ7年、合計60回ものコンサートシリーズをプロデュースさせてもらった。多くの奏者に賛同してもらい、本当に雀の涙ほどのギャラで出演してもらった。
もちろん自分は手弁当であったがそれでも赤字は累積した。昔、パチンコ屋さんの親分がインタビューで
3万円持ってきてください、2万5千円は景品でお返しします。差額はその時間の遊び賃としていただきますと言っていたが、それを思うとトータルでは毎月1回パチンコをやった程度だったから、楽しい思いをたくさんさせてもらったのでもちろん後悔はない。むしろ深く感謝している。
その中で、毎回チケット・散らし・ポスターについては、友人のデザイナーに頼んでいた。彼もこの事業に深く賛同してくれて、ギャラは要らないという話だったのだが、そのデザインがこのシリーズの大きな部分を担っていたので、これまた雀の涙ながら最低限は必ず現金でその場で渡してきた。それが形のない、しかし意味のある材を提供してくれる人への最低限保証すべき評価であるからだ。
今回の件を見ていて、支払うべき側には、昔の私と同じ甘えがあったのだろうとおもった。私の場合も1度出演してもらって、ギャラが安いので2度目はなかった人もたくさんあった。それがプロの世界である。
そういえばその頃ちょうど烏賀陽弘道氏のこんなブログ記事も見ていた。
うがやの「毒にも薬にもなる話」2009-04-07 ライブハウスはミュージシャンを育てない。なぜなら!http://ugayaclipping.blog.so-net.ne.jp/2009-07-23-10
ここではライブハウスというハードを持っている人が威張っているということだ。
日本は本当に形にならない物、音楽でも文芸でもデザインでも、広い意味では情報というべきだと思うが、それを作る人に対する評価が低い。それをきちんとしなくては、これから国が発展することは出来ない。なぜなら、大量のもの作りで国を支えていく時代はとっくに終わっていて、形にならない付加価値で食べていく国になっているのだから。
2014-10-22 11:19
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