泣ける [しょーもない独白]
ちょっと見かけて読んでみて、なんだか泣ける話で、何日経っても気持ちが治まらない。
香川大学解体新書
学際学部考(その2)・・・・長崎大学多文化社会学部の誤算
http://ameblo.jp/ssasamamaru/entry-12007501391.html
学際学部考(その3)・・・・長崎大学多文化社会学部のさらなる誤算
http://ameblo.jp/ssasamamaru/entry-12008542414.html
長崎大学が新学部・多文化社会学部を作ったが、初年度から受験生に総スカンを食っているという話である。しかしその学部に対してお上の覚えは非常にめでたい。
国立大学法人等の平成25年度評価結果について【平成26年11月5日 国立大学法人評価委員会】
当該大学を悪く言う人もいるようだが、当事者がこれを良しと思ってやっているのだろうか。私にはそうは思えない。文部科学省の担当者が、責任回避をしながら圧力をかけてくるというのが国立大学の置かれた立場である。
これがその実である。
地方国立大学は予算を絞られたら困るので、何とか言うとおりにするのだ。それは学生のニーズや社会のニーズなどは全く無関係。その典型例がここに挙げられている話である。
自分は地方国立大学教員養成学部に長くいた。学校現場の現状を見ても、学問の立場からみても、お上の思っている教員養成の仕方には賛成できない。だから職場では大きな声で発言するのを控えていた。ネット上では言いたい放題書いていたわけだが。
昨年そのポジションを離れた。全く運の良いことである。今は学生のために何をすべきかを一生懸命考え、それが実践できるポジションにいる。研究が出来るムードにも包まれている。だがこういう幸運がなければ、そして不満を持った多くの人たちに担ぎ上げられてセクションのリーダーを務めることになっていたならば、自分もまたこんなものを世間に晒す当事者になっていたかもしれないのである。
その前にそもそも、最初にその大学に赴任したことも全くの幸運であった。決して楽観できる状況ではなかったにせよ、全国でも2つしかなかった教員養成系連合大学院博士課程に籍を置かせてもらったわけだし、そこまで切羽詰まっていたわけではなかった。
だが、ちょっとタイミングが違っていたら? ちょっと赴任先が違っていたら? そう考えるとその当事者たちの気持ちが痛いほどわかる。彼ら・彼女らは決して喜んで希望を持ってやったのではないだろうと思う。
そう思うと本当に泣ける。
香川大学解体新書
学際学部考(その2)・・・・長崎大学多文化社会学部の誤算
http://ameblo.jp/ssasamamaru/entry-12007501391.html
学際学部考(その3)・・・・長崎大学多文化社会学部のさらなる誤算
http://ameblo.jp/ssasamamaru/entry-12008542414.html
長崎大学が新学部・多文化社会学部を作ったが、初年度から受験生に総スカンを食っているという話である。しかしその学部に対してお上の覚えは非常にめでたい。
国立大学法人等の平成25年度評価結果について【平成26年11月5日 国立大学法人評価委員会】
○ 新学部構想において、学長が学部長を指名し、新たな年俸制を適用することを決定すると ともに、全学的な入学定員の振替、専任教員についても全学の人的資源を再配分することで 40人を確保している。(長崎大学)http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/houjin/detail/__icsFiles/afieldfile/2014/10/31/1353232_1.pdf
当該大学を悪く言う人もいるようだが、当事者がこれを良しと思ってやっているのだろうか。私にはそうは思えない。文部科学省の担当者が、責任回避をしながら圧力をかけてくるというのが国立大学の置かれた立場である。
- 改革が必要ですよねぇ、と振る。変えることだけが良くて、保つことは認めない。
- 「改革案」を期限までに持って行かないと、予算を削減するという脅しが見え隠れする。
- 費用を減らすことだけを良しとする。学生のための新規事業も金がかかるものは認めない。
- 改革案を持って行ってもお上が思うことに合致しないと、難癖をつけて認めない。
- お上の言うとおりの改革案を作って持って行くと喜んでくれるが、その後どういうことになっても、「自主的に策定された計画ですから」と言って責任を取らない。
これがその実である。
地方国立大学は予算を絞られたら困るので、何とか言うとおりにするのだ。それは学生のニーズや社会のニーズなどは全く無関係。その典型例がここに挙げられている話である。
自分は地方国立大学教員養成学部に長くいた。学校現場の現状を見ても、学問の立場からみても、お上の思っている教員養成の仕方には賛成できない。だから職場では大きな声で発言するのを控えていた。ネット上では言いたい放題書いていたわけだが。
昨年そのポジションを離れた。全く運の良いことである。今は学生のために何をすべきかを一生懸命考え、それが実践できるポジションにいる。研究が出来るムードにも包まれている。だがこういう幸運がなければ、そして不満を持った多くの人たちに担ぎ上げられてセクションのリーダーを務めることになっていたならば、自分もまたこんなものを世間に晒す当事者になっていたかもしれないのである。
その前にそもそも、最初にその大学に赴任したことも全くの幸運であった。決して楽観できる状況ではなかったにせよ、全国でも2つしかなかった教員養成系連合大学院博士課程に籍を置かせてもらったわけだし、そこまで切羽詰まっていたわけではなかった。
だが、ちょっとタイミングが違っていたら? ちょっと赴任先が違っていたら? そう考えるとその当事者たちの気持ちが痛いほどわかる。彼ら・彼女らは決して喜んで希望を持ってやったのではないだろうと思う。
そう思うと本当に泣ける。
2015-04-09 12:13
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0