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文革とな? [社会について]

このところ、お上の言い始めた「文系学部改革」とかいう話しについて議論が聞こえてくる。
これを一言で表した増田聡先生のこのTWには笑った。

「文系学部改革」は「文革」と呼ぶのがよろしい
https://twitter.com/smasuda/status/604880597127827456

あまりに核心を突いていて驚いてしまった。まさにその通りだ。

私自身もこの「改革」に対して思ったことを少し綴ってみた。
http://togetter.com/li/829651

もちろん、このお上の言い分は亡国への道であるというのは間違いない。40年遅れで中国に追随してるという意見にも笑った。

そこで非常に残念に思うのは、この「改革」に対する反対意見があまりにも弱いのだ。いや弱いのではない、あまりにもまともなのだと言うべきかもしれない。それらのほとんどは、このような「文系」の学問の持っている意義を懇懇と言い聞かせているような物だ。その中身は全くごもっとも。歴史的な背景をたどったり、外国の事例を引いてきたりしている。それには何の文句もない。

しかしこれらの意見はこの「改革」を打ち出した連中には届かない。彼らはそれを目にしても知らん顔。理解しようともしないのだ。ここに大きな問題点が明らかになっていることに,多くの人々が気づいていないような気がする。すなわちそれは
こういうまともな意見を理解する能力を養うのが「文系」の学問を修めること
だということだ。そしてこの「改革」を打ち出した連中というのは、「文系」の大学学部を卒業した人たちではないのか?

大昔からいってきていることで雑な物言いではあるが、およそ「文系」という学部においてこれまでちゃんと教育をしてきたのだろうか。この「反対意見」を出している人の多くは現役の大学教員であり、「改革」を打ち出してきた連中を教育したのはもっと上の世代だという反論もあり得るだろう。しかしそこを自ら「改革」してきたのか?

「文系」というジャンルの学問は必要である。無くしてしまうことによって、本当に中国の「文革」の二の舞になることは見えている。だから個人としては何とかしたい。しかし今のこの危機的な状況は、自分たち(の先輩)がやってきた教育の成果なのではないか。

「自分はこのことを考えてやってきた・やっている」という大学教員が数多くいることも知っている。そういう方々は何だかんだで生き残れるだろう。だが全体としてこういう流れになってしまうことを食い止めたいとは思うけれど、そこまでの大きな力にはならない。

全く関係ない話しだが、先日ロシアに行ってきた。Steklov数学研究所という世界最高峰の研究所の1つで集会に出たのだが、国際研究集会と銘打つ割にはほとんどの講演がロシア語。重鎮の大先生はたくさんいてアクティブに活動しておられ、若い人たちも少しはいるのだが、中堅からベテランにかかるぐらい=80年代に研究活動を開始したような人たち=がほとんどいない。その世代は旧ソ連の末期に国外に流失してしまったのだろうと思う。

そんな偉い先生方と同じだというのはおこがましいが、長く務めた国立大学から異動してきた自分も、もしかしたら旧ソ連から流失したような立場だったのかもしれないという気がしてきた。だとすれば、せっかく与えられた今のポジションで頑張らなくてはならない。

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