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物理は数学のお母さん [教育について]

こんなまとめ記事を見た。

教科で分断される教育について
http://linkis.com/togetter.com/li/bMDsE

今の学生は
数学で習ったことは理科では使ってはいけない
とか平気で言うというのを嘆いている。

まあ尾ひれが色々と並べてあって、その中にはどういう立場で教育しているかということを無視した話も合って、例の「掛け算の順序問題」レベルでくだらないと思うのだけれど、それはどうでもいい。

私の場合。なんと言っても最高なのは25年ほど前、高校生に
Sobu数はあれは数学じゃない、国語だ!
と言わしめたこと。すなわち論理的に明確な形で表現するのは数学がもっともやりやすいモデルなわけで、今の国語教育(「妙な解釈論に拘泥しがちな」というと叱られるが)の補完としても機能するだろう。実際、早稲田に来た今はその塊みたいなことをやっている。さらに言えば当時その高校で同じクラスに出講していた現代国語の先生が「論理的な文章の書き方」をじっくりやっておられたのを知って、裏で色々とタイアップしていたわけだし。

まあ「総合的な学習の時間」のあたりから「教科の垣根を越えて」とか大きな声で言われるようになってきたけどダメだろうな。そもそも「理系・文系」だなんて言ってるようじゃ話にならないと思うので、こういうこともたくさん起きるだろう。(古い課程であるにも関わらず)高1で地学、高2で物理が必修だった私は、三角比や指数対数やベクトルについて、教科書を無視して先に数学の時間に学び、そして地学や物理で使ったので、こういう感覚はない。さらに高3の理系物理ではビオ・サバールの法則(Biot-Savart law)が出てきて、否が応でも「dH= 」みたいな式を扱ってた。もちろん恵まれた特殊な環境ではあるが。

ついでに余計なことも言っておくならば、日本では長らく統計教育が軽んじられてきた。本当は小中の社会科・理科でこれを扱うべきだったと私個人は思うのだが、全くそうはなっていなかった。これもその垣根の高さなのだろうと思う。

で、このまとめ記事を見て自分の標語を思い出した。
物理は数学のお母さん 哲学は数学のお父さん
検索してみると旧ブログも含めてどこにも書いていないようなので驚きだが、私の講義を聴いた人は知っているだろう。この標語にこれまでも色々とケチをつけてくる人がいたが、それぞれの立場があるだろうからどうぞご自由に。

もちろん、数学の王様は「代数」であり、女王は「幾何」であると思う。それらに比べれば物理学と直接結びつく「解析」なんてのは新興勢力だが、「代数」「幾何」はPhilosophyの中に入っていたわけだから「哲学はお父さん」なのだ。もちろん最近の発展で、幾何と物理、代数と物理も重要な関係があることはわかってきたのだが、私にはそれについて述べるつもりもその力もない。

大学のセンセたちがこのまとめ記事にあるように惨状を憂いている。まあ気持ちはわかる。だがそうなってしまった理由を考えれば、我々大学教員はまずじぶんの周辺からでも始めなくてはならないのだ。高校教員に問題があることは確かである。しかしその高校教員を生み出したのは誰だ?入試も大学教育も、その責任を感じなくてはならない。

少なくとも私はやっている。

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