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新・センター試験について(2) 記述式の試験について [教育について]

大学入試センター試験を改革するとかいう話で、記述式で解答する問題を作るという話が出ている。その採点方法について何だか話が聞こえてきて、あまりにもビジョンのない継ぎ接ぎ設計で呆れてしまった。

記述式の試験を実施するにあたってもっとも大きな問題は、採点の方法である。そこで決定的なのは
全員公平に採点すべき
という発想である(「入試を公平に」はどこかの法律に規定されていたはずである)。

そもそも記述式を採用する理由は、択一・穴埋め式の試験が画一的な教育を生み出すという問題だったはずである。我が国の未来を考えたとき、そうした型にはまっただけの人が増えるのでは困る。もっと多様なユニークな発想をする人が出てきてほしいという発想だろうと思うのだ。

するとここに矛盾があることがわかる。すなわち多様でユニークな発想をする人を、全国統一の採点基準で選抜することで見出そうという話である。

その点で、琉球大の河野真治先生のツイートには賛成する。
https://twitter.com/shinji_kono/status/766493850311340032
すなわちこんな発想で作った全国一律の記述式試験など無駄であり、その採点に各大学の教員が当たるなど時間と労力の浪費である、人工知能で採点出来るくらいで充分だというのだ。

昨今の「大学改革」とやらには、アメリカの大学を手本にしようという雰囲気が感じられる。だがアメリカの大学の入学者選抜がどういうやり方をしているのか本当にわかっているのだろうか。アメリカの優秀な大学では、アドミッションオフィスがその選抜を行う。そのやり方は十分練られたものであるが、基本的な発想として「完全に公平に」などということはむしろありえないと思う。SATは大切であるが、それ以外の部分も大きく、それは全く公平とは言えないと思う。それでもとにかく各大学が優秀な人を探してきて教育し研究させてさらに伸ばして社会に出そうという発想がそれを上回っている。まあその多くが私立だからできるということなのかもしれないが。

この点で昨今言われている新・センター試験に記述式問題を導入することは本質的に矛盾があり、そこに各大学の研究者たちの時間・労力を投入させようなどというのは、我が国全体にさらに大きなダメージをもたらすことになると言わざるを得ない。「さらに」と書いたのは、すでに現行のセンター試験の実施だけをみても大きな浪費だと思うからである。よく聞こえるのは2日間の試験監督のつらさであるが、その実施のための事前準備に多くの時間と労力が使われている。

対案を出せ、とか騒ぐ人がいると思うので、昨日それは上げておいた

追記:昨日、どうにも書かなくてはならないと思って、20分しか時間がないところで書いた記事を、多くの方がSNSで広めてくださった。しかしその内容たるや、魚で言えば頭と尻尾はなんとかあっても、身がないどころか背骨でつながってもいないレベルであった。本当は加筆したいのだが、たくさんの方が見てくださったところを後から加筆するのは格好が悪いので、こんなことを書いてみた。

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